2012年6月11日月曜日

wearerとFURAGO



こんばんは。
センチメンタル日本代表、wearerのYKです。

wearerとFURAGOの2マンまで、とうとう1週間を切りました。
僕は、もうだいぶそわそわしてます。
それでも平日は勤労しなくてはならないので、もう大変。
業務に支障が出ないようにそわそわを押し殺しているうちに、日々が過ぎて行きます。

今日は少しだけ長くなるかもしれない。

去年のゴールデンウィークに、僕らwearerはFURAGOと出会った。
2011年5月4日、Stun Smithのレコ発。
FURAGOのことは、それまで名前も知らなかった。

この時のゴールデンウィーク、渋谷LUSHの宮内くんが1週間連続で企画を仕切ることになっていて、wearerはどこでも好きなところに出ていいと誘われていた。
中でも、ヒラオコジョー・ザ・グループサウンズとか、歌ものっぽいバンドが集まる5月3日のイベントを勧められたような気がする。

でも僕は直感的に、迷わずに、birds melt skyやNaLasが決まっていた5月4日を選んだ。
すてきな選択をしたと思う。

リハーサルではじめてFURAGOの演奏を見た僕は、いきなり度肝を抜かれた。
今にもここから駆け上っていきそうな気概と自信に満ち溢れた演奏だった。
ものすごい勢いと野心のある若そうなバンドが出てきた!と、すごく脅威に感じたっけ(そしたら意外と同世代だった)。

出番はトップバッターだったにも関わらず、FURAGOの時にはお客さんがたくさん入っていた。
この日僕たちの演奏はものすごくいまいちだったのだけど(僕のギターが音出てなかったり)、よしたかくんが「baby blue」をすごく誉めてくれた。
うちの陽介とスミタくんも、ドラマー同士、お互いのプレイにシンパシーを感じていたり(ふたりとも四つ打ちドラマーかつアヒト・イナザワの影響大)。
僕は僕でsoosuに「wearerは90年代だね」って言われて、こいつわかってんなー、と思ったり。

とにかく、僕らはすぐに意気投合して、僕とsoosuは終電なくすまで飲んでた。
僕は翌日すぐにsoosuに連絡して、翌月に迫っていたwearerの企画にFURAGOを誘ったのだった。

それからはあっという間だった気もするし、とてもとても長い時間が流れたような気もする。
とにかく今日までの約1年くらいの間、僕らの活動はいつもFURAGOとともにあった。
共催で企画をやったり、お互いのライヴを見に行ったり、打ち合わせと称して飲んだり、ただ飲んだり飲んだり。
無意味な、それでいて有意義な、たくさんの話をして、たくさんの夜をともに過ごした。

僕らには音楽性を越えた親和性があり、同世代としての共感があり、 何よりお互いに確かな志があった。
僕らはそれぞれ自立した社会人であり、それぞれに守らなくてはならない暮らしがあり、それでも夢を追いかけていた。
そしてそれ以上に、彼らは僕にとって、だいじな友達だ。

このタイミングでいうと何か嘘くさく聞こえるかも知れないけれど、はじめて見たときからスミタくんのドラムはすごかった。
僕は四つ打ちに目がないのだけれど、こんな圧倒的な音圧で四つ打ちを叩くドラマーがいるのか、と思った。
それに、スミタくんのドラムはとにかく鳴りがよかった。響きが好きだな、と思った。

ある時、下北で友達がDJをするというので遊びにいくと、スミタくんが現れた(彼は様々なイヴェントに顔を出す、実にマメな人なのだ)。
そこでしこたま飲んで、帰りしなにふたりでラーメンを食べたのだった。
その時スミタくんは僕に、自身のバンド観 / 音楽観をいろいろと聴かせてくれたっけ。
独自のドラム練習法のこと。四つ打ちに対するこだわりのこと。音楽を文系的な感覚でとらえるのではなく、理系的に数値でとらえることについても。ああ、この人は発想が理系なんだ、と思った。理系ドラマーだ。
僕には思いつきもしない角度から音楽をとらえている人がここにもいた、と素直に感心した。
そして僕は、自分のバンドに対する考えの浅はかさ(特に技術的な側面について)を少しだけ反省して眠りについた。

こういうことを書くと「またYKは適当なことばかり言いやがって」と鼻白む彼の顔が容易に思い浮かぶので、もうこれ以上スミタくんのことは誉めない。


wearerは、エレクトロでもなければダンス・ロックでもなく、シューゲイザーでもなければ、パワーポップでもない。
僕らは、バンドを運用する上で時に有用であろう「ジャンル」という看板を何も掲げることができずに、ここまできた。そして掲げるつもりもなかった。
僕らはよくも悪くも、どの「シーン」にも属することなく、活動を続けてきた。
特定のイヴェンターに気に入られて、同じイヴェントに定期的に出るようなことすらなかった。
僕たちは、ただ、寄る辺のないロック・バンドだった。

だから僕たちは自分たちのシーンが作りたいと思うし、その時その時の出会いを大事にしてきたつもりだ。
そのたくさんの縁の中で、FURAGOに出会えたことは本当に幸運だと思う。
彼らは、あいまいな僕らと違って、すごくヴィヴィットでコンセプチュアルだから。確固たる立ち位置があるから。
そんな彼らに導かれて、たくさんのすてきな光景を見て来たし、たくさんの仲間に出会うこともできた。
改めて、ありがとう。


今年の4月、僕らは代官山で坂本美雨さんと対バンした。
僕らはすごく気持ちのはいった演奏をすることができたし、とてもとてもすてきな夜だったのだけれど、何より忘れられないのは、同じ日に違う場所でライヴをしていたFURAGOのことだ。

その日彼らは渋谷で、とても人気のあるイヴェントに出演していた。
にも関わらず、彼らは自分たちの出番が終わるやいなや、僕たちの演奏に間に合うようメンバーみんなで代官山に飛んで来てくれたのだった。
まるで僕の心もとない気持ちを見透かすかのように。
僕は本当にうれしかったし、本当に心強かったよ。

つまりFURAGOは、そういう最高のやつらなのです。
カリオストロの城的に言うと「なんと気持ちのいい連中だろう」ってことです。


6月16日、とにかくいい演奏がしたい。
またここからあたらしいストーリィがはじまるような、そんな2マンにしたい。
いつか誰かが思い出して、ふと口ずさむような、そんな夜にしたい。

あらためまして、我々はwearerと申します。対するはFURAGOでございます。
相手にとって不足はございません。
みなさん、どうぞよろしくお願いいたします。
 

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