2012年5月18日金曜日

ヒップなギャッツビィ、今を生きる。〜中澤壮介概論〜







FURAGOのフロントマンであり、コンポーザーであり、リーダーであるsoosuこと中澤壮介。
群雄割拠のダンス・ロックのシーンの中でもきわめて個性的であり、また際立った求心力を持つFURAGOの楽曲は、彼の中から、どうやって生まれるのか。
いかにもリーダー然とした彼にとってのバンドとは、メンバーとは。
そして、何よりwearerとは。
とにかく根掘り葉掘り聞きました。



俺は、FURAGOでアートをやりたいと思ってるんだよね。

-いきなり言うね(笑

いや、これはほんとに。
アートって、固定概念をぶち壊すものだからさ。
バンドの編成や楽曲の構成、とにかく、「こんなことやっていいんだ」「これってありなんだ」っていうことをやりたいんだよね。
そこに俺のルーツを混ぜていければいいかなって。

-結構狙ってダンス・サウンドをやってるのかと思ってたんだけど。

それはないね。
ダンス・ロックとか言われてもピンとこないなあ。まずコンセプトありきだから。
今のサウンドを模索し始めた時、既に「シミュレーショニズムの実践」っていうコンセプトが頭にあってさ(シミュレーショニズム…1980年代のニューヨークを中心に広まった美術運動。近代芸術の唯一性(アウラ)に反対し、大衆芸術のイメージを、カット・アップ、サンプリングといった手法を用いて表現することが特徴)。
ほら、俺らの世代って、サンプリングとかが当たり前にあった世代じゃない?
何か伝えたいことがあるとき、既存のものを拝借して、より効果的に伝えるって感覚。
それこそが、俺らの世代のアートだよ。
それが結果としてダンス・サウンドになっただけであってさ。

-なるほどね。

楽曲ひとつとってもそうだよ。コンセプトありき。
例えば俺にとってひっかかるもののひとつに、「1988年」っていうキーワードがある。
「BEN JOHNSON」って曲は、1988年のソウル・オリンピックの曲。
あの時のベン・ジョンソン(ジャマイカ出身の陸上短距離走選手。ソウル・オリンピックで圧倒的な強さを見せつけたが、後にそれが薬物の不正使用、いわゆるドーピングによるものだと発覚した)のインパクトが、とにかくすごくてさ。
カール・ルイスよりも断然ベン・ジョンソンなんだよ。もう圧倒的だったじゃない?

-で、それが嘘だったという(笑

そうそう(笑
で、あの時ベン・ジョンソンはどんな気持ちでレースに臨んだんだろう、って思ったんだよね。
当然ドーピングはしてる。
だけど、あのレーンに入った時は、そんなこと全部忘れて、勝つことしか考えてなかったんじゃないかな、てさ。
その勢いを曲にしたかったんだよね。
イントロの部分のリリックは、各選手のコールなんだよ。
ファイナルで並んだ8人の名前。
それ見て「行け!行け!行け!」って言ってる子供たち。
それらをすべて取り巻く状況だよね。 
それに…100mっていう競技が持ってる静と動の波形は、俺らのもってる音楽の波形とおんなじなんだよ。

-「1988年」にひっかかるのはなぜなんだろうね?

 
それはやっぱり、「1988年」ってバブルの象徴だからだよ。
「CANTI IIKURA」も1988年にまつわる曲。
文字通り、飯倉にある「キャンティ」を舞台にどんな音ができるかなって思ってさ。(キャンティ:港区麻布台3で春日商会が運営するイタリア料理店のこと。1960年の創業以来、松任谷由実など各界著名人が利用するレストランとして知られている)。

-サウンドでバブルを表現したと。

そうだね。
でもさ、実はリリックは、福島のことを歌ってんだよね。

-福島?

そう。
あの時のバブルって、きっとものすごい電気使ってたわけじゃない?そんな状況の中、キャンティでバブルを楽しんでたやつが福島の出身だったら、今どんな気持ちでいるんだろうってね。

-極端なストーリィだね。

俺にとってさ、かっこいいものって、「ギャップがあるもの」なの。
ほんとそれだけ。
だから、もっとこうしたら気持ちいいだろうな、ハマるだろうな、っていうのはわかるけど、そこにあえて正反対のベクトルのものをぶつけてる。

結構実験的なんだよ、FURAGOのサウンドは。
それに、ストーリィがなかったら、曲が書けないんだよ、俺は。
細かいペルソナを描きこむことによって、サウンドを生み出すんだ。リリック以前にさ。

-話を聞いていると、soosuの中で、かなり具体的なヴィジョンがあるようだけど。
soosuの中で練られたコンセプトやストーリィを実現するのがメンバーってことなのかな。

それは少し違うな。
むしろメンバーには、「俺に合わせるな」って言ってる。

-というと?

 
俯瞰して見たとき、FURAGOのメンバーって、揃った時点でかなり面白いんだよ。
スミタは学生の時から俺とバンドやってたけど、後のメンバーはぜんぜん違うところから入ってきて。ほんとバラバラなの。
ミヤザワはラテンなんだよね。俺の中にはない要素を持ってる。でも、ASIAN DUB FOUNDATIONとか、Bob Marleyとか、すぐに通じる部分もある。
ゲーシーはポスト・ロックが好きだったりとかさ。

-その中でもヨシタカの存在は、ちょっと特殊だと思うんだけど。

俺がヨシタカをFURAGOに入れた理由は2つ。
1つは、単純に「なんかあいつ面白い」ってこと。ヨシタカがいるだけで、FURAGOは「普通のバンド」じゃなくなるなって、思ったから。
もう1つは、俺のシャドウが欲しかったんだよね。

-シャドウ?

俺は当時、ひとりでシンセサイザーを弾きながら歌うことに限界を感じてたんだよね。
そこで、もうひとりシンセと歌ができる、俺のシャドウが欲しかったってわけ。
それに、音楽でシミュレーショニズムを実践する上で重要な、サンプリングって機能を使いこなせるのは、あいつだけだしね。

-確かにみんな、テクニックがあるだけじゃなくていろんなルーツを持ってるよね。

そこで、こいつらがひとつにまとまったらどんな音出すんだろう、って思っちゃったんだよね。俺は。
だからコンセプトはもちろん大事だけど、それ以前に、今のメンバーが揃った時点で、曲はもう出来上がってるようなもんなんだよ。

-実はメンバーありきなんだね。

そして俺がやりたいことをメンバーに提示すると、2倍3倍になって返ってくる。そこがバンドの面白いところ。じゃなかったら、バンドをやるつもりはない。


-なるほどね。
soosuの世界観を前面に押し出してるサウンドが、実はメンバーから出てきたものを尊重した結果だったってことか。
さっきからFURAGOを語る上で「バブル」っていうキーワードが重要に思えるんだけど、「バブル」を表現したサウンドのわりには、どこかせつない感じがするのはなぜだろうね。

だって、そもそもバブルって儚いじゃん。

-ああー。

俺らはさ、パーティがやがって終わっちゃうってことを知ってるわけ。
だからバブルって俺にとってはせつなくて儚いよ。

-なんか少しわかった気がする。
soosuはロスト・ジェネレイションなんだな。フィッツジェラルド(スコット・フィッツジェラルド:アメリカの作家。1920年代にそのピークを迎えたと言われている。いわゆる「ロスト・ジェネレイション」を代表する作家のひとり)みたいなさ。

ああ、そういうとこはあるね。

-soosuはギャッツビィだってことだよ、要は。(ギャッツビィ:スコット・フィッツジェラルドの代表作「グレート・ギャッツビィ」の主人公。大邸宅に住み、夜毎豪勢なパーティを開催する富豪だが、彼の胸のうちには拭い去れないある想いがあった…)

悪くないね、それ(笑

-そのギャッツビィなsoosuは、なぜ歌うんだろうね?

自分が生きた証拠、自分が生きている「今」をパッケージしたいってことかな。
俺自身、時代とともに移り変わっていくからさ。
その「今」を残したいんだよ。生殖本能みたいなもんだよ。

-その音楽を、誰に一番聞いて欲しいと思う?

今を生きている子供たち。これから生まれてくる子供たちに伝えたい。
これからの人たちに聴かせたいな。
あとは椹木 野衣(さわらぎ のい:美術評論家。代表的な著作に評論集『シミュレーショニズム ハウス・ミュージックと盗用芸術』(洋泉社)。シミュレーション・アートとハウス・ミュージックを〈サンプリング・カットアップ・リミックス〉というキーワードで横断的に論じ、1990年代の文化を予見したと言われる。)。あの人には絶対届けたいね。

-シミュレーショニズムを語るうえではずせない人だもんね。

そのとおり。
っていうか、FURAGOの曲には固有名詞がたくさん出てくるんだけど、みんなその人たちに向かって歌ってるようなもんだからね。
俺はベン・ジョンソンにも、キャンティのオーナーにも聴かせたいよ、FURAGOを。

 
-なんか聞けば聞くほど、FURAGOとwearerは何もかもが違う音楽をやってると思えてくるんだけど、この2バンドがいっしょにやれるのは、どうしてだと思う?

言うなればさ、FURAGOが村上龍なら、wearerは村上春樹なんだよ。

-それわかりやすいなあ(笑

でしょ?
極端に違うんだよ。極端に違うんだけど、完全に違うわけじゃない。ある同じ時代を生きてきた人たちが、 お互いポップネスを持って、それぞれの方法でやってる。
そこには同時代的な共通項があるんだよ。
龍と春樹を同時に読む人なんてたくさんいるじゃん?

-なるほどね。

それから、単純に俺とYKの間に、共通するところがすごくあるからね。
きっと、おんなじ感情体験をしてるというか。人間としてベースの部分はおんなじなんだなと思う。
だから、YKの作る曲の世界、俺はわかるよ。
でも俺には俺のやり方があるってこと。

-YKがsoosuの共感を得られるとはね(笑
でも、ギャッツビィも、計り知れないハッピーとブルーをあわせ持つ人物像だものね。

俺の座右の銘に、「面白半分/ハーフ・シリアス」ってのがあるんだよね。
何をやるときにも、そのバランスが大事なんだ。シリアスな部分がなかったら、ただチャラいだけだからね。
それに、俺はミュージシャンは、オーディエンスに対して、楽しんでる姿を提供しなくちゃならないと思ってる。
悲しみも苦しみもすべて受け入れてハッピーに語れちゃうほうがキュンとくるよね。
やっぱり表現にはユーモアがなくちゃね。

-じゃあ最後に。soosuにとってFURAGOとは?

俺は常にヒップな存在でいたいんだよ。その時代その時代の中で。
そういう俺の「今」だよ、FURAGOは。
俺はいつの時代も、ヒップで在り続けたい。それだけなんだ。


(インタビュー / 文責:YK)

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